ぼくたちは難しい子育てなの?

発達障害兄弟の育児記録。名称等は全て架空のものです。

私のせい

短い夏休みが終わった。

保育園に行きたがらない。泣く。怒る。

プールは休んで良いよ、と言って

なんとか行かせた。

 

だるい。

お盆疲れ、だと思う。

 

腰が痛い

首も痛い

なかなか治らない。

 

ママは疲れたよ。

もう疲れた。

 

夜、いっぱい泣いた。

 

3歳のときのA太のことを思い出したら

涙が止まらなくなった。

 

3歳と4歳は全然違う。

3歳はまだ何にもわかっていない。

わけもわからず、自分の意思も出せず、

言われたままに、やったりやらなかったりするだけ。

 

3歳の時も、

私はずっと朝から怒っていた。

怒っていた記憶しかない。

いつもイライラして、体調が悪くて、腹が立って、

ストレスを子どもにぶつけていた。

なんてひどい母親。

 

A太はそれを許してくれた。

 

幼い丸い顔で

泣きながら

「いいよ」

と言ってくれた。

私の口先だけの「ごめんね」に対して。

 

私はなんてひどいことをしてしまっていたんだろう。

 

そのときはそのときで

いっぱいいっぱいだった。

 

何もかもうまくいかなくて、

何もできなくて

 

そんな自分が嫌だった。

いま考えると、自分のことばかり考えていた。

 

もっと子どもに目を向けていれば

育児に気持ちが向いていれば

早く気づけたかもしれない。

 

子どもがこんなに苦しんでいるということ。

私は何もわかっていなかった。

子どもの母親は私しかいないのに

私しかわかってあげられないのに

 

どうして気づいてあげられなかったの?

どうして?

 

子どもが嘘をつくようになった。

「やったよ」「やってないよ」とか

子どもらしい嘘もつくけど、

明らかにおかしなうそをつく。

 

転園の予定もないのに

「〇〇ちゃんのお別れ会がある」とか

見るからに拾ってきたものなのに

「◇◇くんからボタンをもらった」とか

嘘をついている。

虚言癖?とも思えた。

 

最初はまじめに取り合っていたが、

A太の頭の中の世界の出来事なのかなと思いつつも

うそばかりに疲れて

「うそばっかりつかないで」「本当のこといって」

と怒ったり、無視したりしていた。

 

きっとこれはA太からのサインだったに違いない。

今思うと、おかしかった。

 

先生も親もだまして、

彼は何か訴えたかったんだろう。

3歳でわざとうそをついたりできるのか

A太にはそれをする能力があるかのようだった。

 

必死に訴えていた。

彼はきっと現実から逃げたかったんだ。

 

思い通りにならない保育園や

叱られてばかりの家庭から。

逃げ場を探していたんだと思う。

 

家になかなか入ろうとしないのも

それが原因なんだろう。

 

 

 

そもそも抱っこがきらいな子なんて

いないらしい。

 

抱っこを嫌がるのは

母親に何かしら嫌なことをされたから

それを拒否しているらしい。

 

嫌がっても、抱っこは無理にでもしたほうがいいらしい。

8秒でいいから、するといいらしい。

 

あの子が初めて抱っこをせがんできたのは

もう2歳も終わりのころだった。

幼児教室で、ほかの子が抱っこされているのを見たから。

 

私はそれまで抱っこをしなかった。

嫌がって体を反って抜けようとするし

頭や顔をぐしゃぐしゃにされた。

そして一度抱っこしたら下したときに泣いてしまうから

抱っこするのが怖かった。

腰が痛くて、出来れば重いものを持ちたくなかった。

抱っこをしたいと思わなかった。

それがいけなかったんだろう。

 

私は、A太に母親らしいことをしてこなかった。

一緒に遊んだり、抱っこしたり、添い寝したり

触れ合うことが少なかったと思う。

私は、嫌われていると思っていたから。

 

A太に殴られて怪我をしてからは

近寄りたくなくなった。

そばでずっと見ていた。

すぐ危険なことになるので

監視の目を光らせていた。

そのせいでA太は大人の目を気にするようになった。

 

私のせいだ。

 

これも、あれも、みんな私のせい。